中小路健吾の雑感独言

知事選挙に思う

京都府知事選挙が終わった。

結果は、山田啓二候補 481,195票に対して相手候補が215,744票。

まさに圧勝であり、私たちが推薦した山田候補が再選を果たしたことは大変嬉しく思う。

4期目の山田府政の大きな推進力を得ることができた。
しかし一方で気になるのがやはり投票率。

前回の知事選を6.64ポイント下回る34.45%にとどまり、過去最低を記録した。
その理由として一般的に指摘されるのが、下記のような点である。

・これまで通り「非共産 対 共産」の構図でおもしろみにかける、選択肢が少なすぎる

・論戦がかみ合わず、争点が明確にならなかった

・山田知事の実績と圧倒的な知名度から結果がある程度予想されており盛り上がらない

・当日、お花見の季節や思いがけない寒さによって投票所へ足を運ぶ人が少なかった

などなど。

こうした指摘について、私自身、政治に携わる者として謙虚に反省をしなければならない部分があることは否定をしない。自らが立候補し、選択肢となったものとして、選んでいただく側の人間として、まだまだ努力をしないといけないことはたくさんある。
しかしである。

やはり投票には行かなければならないし、行くべきだ。
選挙というのはそもそもおもしろいものでもないし、盛り上がらないといけないものではない。

選択肢の少なさが指摘をされるが、そもそも自らの考えと100%一致する候補がいることの方がまれであり、与えられた選択肢の中からより近い、よりベターと考えるものを選ぶことも必要だ。

関心がある分野の政策を比較しても良い。トータルとしてのバランスを判断しても良い。もちろん、実績に基づく実行力を吟味してみても良い。

そうして考えれば、決して今回の知事選挙でも争点がなかったはずはない。

情報がないとの声もよく聞く。

しかし、今やネットでも情報収集は可能であり、主体的に判断をしようと思えばできなくもない。

そうした「手間」や「時間」をかける割には、自分にとってのメリットが見えないとの声も聞く。

いやいや、どちらが知事になるかによって、教育や福祉、財政面など私たちの暮らしには大きく変わるものであり、他人事では決してないはずだ。
私が政治の道を志した原点は、「自らのあり方を自らが決める政治」を作りたいとの思いにある。

まさに「自治」である。

その「自治」の本質は、住民自らが「こうしたい」「こうあって欲しい」という意思があるというおとが大前提だ。

そしてその意思を示す4年に一度の機会に、少しの手間暇をかけて「考えて」「行動」することは必要最低限の義務だと言っても過言ではない。
だからこそ、どんな理由も「投票に行かない」ことの合理的な理由にはなり得ない。

投票という行動によってこそ新たな状況や環境を創ることができるはず。

政治に身を置く人間だからこそ、そのことを強く信じたい。